飲み会の帰り道、ほとんど話せなかった夜がありました。布団の中でスマホを開いて、「コミュ障」と検索したことがあります。「ああ、やっぱり自分はこれだ」と、妙に納得してしまいました。名前がつくと、少しだけ安心する気持ちもあったのです。
もしあなたも「自分はコミュ障だから」とつぶやくことがあるなら。この記事は、そのラベルを貼る手前で読んでほしい話です。
ラベルは便利で、そして視野を狭くします
「コミュ障だから」と言うと、いろいろな説明が一言で済みます。誘いを断る理由も、話せなかった夜の言い訳も、この一言に収まるからです。僕もずっと、そうやって自分を説明してきました。
ただ、僕の場合、このラベルには副作用がありました。「どうせコミュ障だから」と、試す前に諦める回数が増えたのです。うまく話せた日があっても、「たまたま」で片付けてしまいます。ラベルに合う出来事だけを集めて、合わない出来事を捨てていました。自分に貼った言葉が、ものの見え方まで決めていく。それを、僕は身をもって経験しています。
そのラベル、最初は誰の言葉だったでしょうか
思い返すと、僕が最初に自分を疑ったのは、人の言葉がきっかけでした。「もっと喋りなよ」「何を考えてるかわからない」。悪気のない一言が、少しずつ心に積もっていきます。そしていつからか、自分で自分に言うようになっていました。「どうせ自分はコミュ障だから」と。
つまり、このラベルは自分で丁寧に検査して貼ったものではありません。にぎやかな場を基準にした物差しで測られて、渡されただけのものです。物差しが変われば、測り直されます。静かな場所では、あなたの聞く姿勢はそのまま美点として扱われるのです。
ラベルの下にあるものを、分解してみる
あるとき僕は、自分の言う「コミュ障」の中身を紙に書き出してみました。出てきたのは、こんなことです。
- 発言する前に、何度も頭の中で確認してしまう
- 相手がどう感じるかを考えすぎて、言葉に詰まる
- 大人数より、一対一のほうが落ち着く
- 自分が話すより、聞いている時間のほうが長い
並べてみて、気づいたことがあります。どれも、裏返せば長所として通用する性質だったのです。何度も確認するのは、慎重さと丁寧さ。相手の気持ちを考えすぎるのは、思いやりの感度が高いということ。聞く時間が長いのは、傾聴の素地がすでにあるということです。
もちろん、困る場面があるのも本当のことです。僕も、とっさの雑談では今も言葉が出てきません。でも「困る場面がある」ことと「人として劣っている」ことは、別の話です。「コミュ障」という三文字は、この二つをこっそり混ぜてしまいます。ラベルごと自分を否定する前に、中身を一度ほどいてみてほしいのです。
マイナス要素ではなく、持ち味の一つ
念のため書いておくと、「無理に直せ」と言いたいわけではありません。その反対です。慎重さも、丁寧さも、聞く姿勢も、直すべき欠陥ではないと思っています。それはあなたの持ち味で、活きる場所のある性質です。治さずに付き合うという考え方は、人見知り・あがり症は「治さなくていい」に詳しく書きました。実際、同じように話すのが苦手な人同士は、深く分かり合えることがあります。僕には、やはり口数の少ない友人が一人います。会話は途切れがちですが、その沈黙を謝らなくていい関係は何より楽でした。「話さなきゃ」という焦りを、お互いに知っている者同士だからだと思います。同じ遠回りをしてきた人とは、少ない言葉でも深くつながれます。これは、流暢に話せる人にはかえって作りにくい種類の関係かもしれません。持ち味をどう足場にしていくかは、話せなくても、強みで生きていくにまとめています。
一つだけ、添えておきたいことがあります。つらさが強くて、仕事や生活に支障が出ているときは、話が別です。その場合は、カウンセラーなど専門家に相談する選択肢もあります。一人で抱え込むことだけが、頑張り方ではありません。
「コミュ障」と言いそうになったら
僕は今も、雑談が得意ではありません。それでも「自分はコミュ障だから」と言う回数は、意識して減らしました。代わりに使っているのは、「初対面に時間がかかるタイプ」という言い方です。事実は同じでも、言葉を変えると、次の一歩の見え方が変わります。
言い換えは、現実から目をそらすためのものではありません。むしろ、現実をより正確に言うための工夫です。「コミュ障」は、あなたの全部を説明するには雑すぎる言葉でした。慎重で、丁寧で、聞く時間が長い。そう言い直すほうが、実際のあなたにずっと近いはずです。ラベルを剥がすのに、話し上手になる必要はありません。言葉を選び直すことなら、今夜からでも始められます。