会議が終わったあとの廊下で、ため息をついたことがあります。今日も、一言も発言できませんでした。意見がなかったわけではありません。言おうとして、タイミングをうかがって、そのまま会議が終わったのです。
「話せる人は、いいな」そう思いながら席に戻る午後は、自分がひどく小さく感じられました。
僕は今も、話すことが得意ではありません。雑談は続かないし、人前に立てば頭が真っ白になります。声を出すたびに、噛まないかなという緊張がよぎります。
それでも僕は、話す力を追いかけるのを途中でやめました。代わりに決めたことがあります。聞く力と、自分の強み。この二本を、時間をかけて積み上げていくことでした。
この記事は、その生き方の全体像を書いた総論です。「話せないなら、せめて別のもので」という消極的な話ではありません。話し下手にはむしろ向いている道だと、僕は思っています。
話せないことは、致命傷ではありません
まず、いちばん大きな誤解から書かせてください。僕は長いあいだ、「話せない自分は社会人として欠陥品だ」と思い込んでいました。面接も、会議も、飲み会も、すべて話せる人のためにある。そう見えていたからです。
でも、働く年数が増えるほど、違う景色が見えてきました。職場で信頼されている人が、全員おしゃべり上手かというと、そんなことはないのです。口数は少ないのに、「あの人に頼めば大丈夫」と言われる先輩がいました。資料が正確な人。技術に詳しい人。数字に強い人。その信頼は、話術ではなく、積み上げてきたものから来ています。
思い返すと、僕が「欠陥品だ」と落ち込んだのは、いつも話す場面の直後でした。飲み会の帰り道や、発言できなかった会議のあとです。評価の物差しが「話せるか」の一本しかないと、落ち込む回数は増える一方になります。物差しを増やすことは、自分を守ることでもあるのです。
話す力は、たしかに便利な力です。でも、それは数ある力の一つであって、唯一の通貨ではありません。このことに気づいてから、僕は少しだけ呼吸が楽になりました。
僕の二本柱——聞く力と、自分の強み
とはいえ、人とのやりとりをゼロにはできません。そこで僕が頼りにしてきたのが、二本柱でした。
一本目は、聞く力です。うまく話せなくても、相手の話を受け取ることはできます。頷いて、確認して、最後まで聞く。それだけで人間関係の土台は作れる、というのが僕の実感です。ここはこのサイト全体の核にあたります。詳しくは聞く力の教科書に書きました。
二本目が、この記事の主役である「自分の強み」です。聞く力が人との橋だとすれば、強みは自分の足場になります。橋と足場。二つそろうと、話す力の不足はかなりの部分まで補えます。少なくとも僕は、この二本で仕事と人付き合いを続けてこられました。
強みは、特別な才能でなくていい
「強み」と聞くと、身構えるかもしれません。僕も最初は、天才的な何かを想像して、自分には無縁だと感じていました。
でも、ここで言う強みは、もっと地味なものです。知識、経験、スキル、資格、そして得意なこと。「人より少し詳しい」「人より少し速い」「人より少し丁寧」。その程度の差でも、積み重なれば立派な強みになります。
たとえば、こんなものです。
- 表計算の関数に詳しくて、集計を任される
- 手順書を書くのがうまくて、新人がそれを読んで育つ
- 一つの製品の仕様を、社内の誰よりも把握している
- 障害が起きたとき、ログを黙々と追い続けられる
どれも、話術はいりません。そして、どれも一夜では身につかないものです。だからこそ、先に積んだ人のところへ、仕事と信頼が集まります。
強みの種は、苦手の隣にあります
「そんなもの、自分にはない」と感じた人へ、探し方を三つ書きます。
一つ目は、人から頼まれたことを思い出すことです。「これ、お願いできる?」と回ってくる仕事には、理由があります。自分では当たり前すぎて、強みだと気づいていないだけかもしれません。
二つ目は、時間を忘れてやれることを探すことです。調べもの、整理、細かい作業。苦にならないという事実は、それだけで続ける才能の証拠になります。
三つ目は、苦手の隣を見ることです。僕は話すのが苦手なぶん、話す前に頭の中で何度も考える癖がつきました。その癖はいま、文章を書くときの慎重さとして役に立っています。苦手を埋め合わせてきた工夫の中に、強みの種が眠っていることは多いのです。
仕事のやりとりは、文章の比重が増えています
もう一つ、追い風の話をさせてください。働く環境そのものが、話し下手に有利な方向へ動いていると僕は感じています。
僕の見てきた範囲でも、チャットやテキストで進む仕事は増えました。特にIT系の職場では、連絡も相談も議論もチャットで進むことが多いです。文章中心で仕事が完結する場面が、珍しくなくなりました。リモートワークの広がりも、その流れを後押ししたように思います。
文章のやりとりには、話し言葉にない特徴があります。考えてから書ける、ということです。即答を求められない。言い直せる。記録が残る。その場の瞬発力で勝負しなくていい世界が、仕事の中に確かにあるのです。
会議で光る人と、文章で光る人は、別の種類の人だと僕は思っています。そして後者が正当に評価される場所は、探せば見つかります。
これは日本語でも英語でも変わりません。英語の会話は無理でも、読み書きならなんとかなる。そんな入り方で海外とやりとりする道も、文章中心の仕事なら現実的になります。「話せないから無理」と決めつけるのは、早いかもしれません。
だから、転職を考えるときも視点が変わります。「話せない自分でも採ってくれる会社」を探すのではありません。「文章と実力で評価される環境」を、こちらから選びに行くのです。同じ求人でも、この目で見ると景色が違ってきます。
「頼られる何か」を一つ持つ
強みを積む目的は、誰かに勝つことではありません。僕が目標にしてきたのは、もっと静かなことです。「このことなら、あの人に聞こう」と思い出してもらえる存在になる。言いかえると、代わりが利きにくい部分を一つ持つことでした。
頼られると、会話は向こうからやってきます。しかも雑談ではなく、自分の得意分野の話としてです。得意なことなら、僕でも言葉が出てきます。話し下手が自然に話せる数少ない場面は、こうやって自分で作れるのです。
僕にも覚えがあります。雑談の輪には一言も入れないのに、担当していた仕組みの質問には答えられました。聞かれるのが嫌どころか、ありがたいとさえ感じたほどです。あの小さな成功体験は、いまでも僕を支えています。
それに、頼られた経験は自信の底になります。雑談で笑いを取れなくても、「あの件は自分がやった」という事実は消えません。話せなかった夜の自己嫌悪に、事実で反論できるようになります。
時間はかかります。でも、積み上がります
正直に書きます。この道は、速くありません。資格の勉強にも、スキルの習得にも、月単位や年単位の時間がかかります。数日で人生が変わるような話は、ここにはありません。
でも、話す練習と違う点が一つあります。積んだものが、目減りしにくいことです。会話は一回ごとに消えていきますが、身につけた知識や残した実績は消えません。昨日の自分に、今日の分を足していける。仕事も人生も人付き合いも、ゆっくりとなら確かに変えていけます。
僕自身、話すことへの緊張は今も残ったままです。それでも生活が少しずつ変わってきたのは、この「残る積み重ね」のおかげでした。
話す練習を、否定したいわけではありません
誤解のないように書いておきます。話す練習をやめろ、という話ではありません。話したい人は、練習すればいいと思います。僕自身、聞き方や伝え方の工夫は今も続けています。
ただ、これは順番の問題です。話す力を最初の関門にしてしまうと、多くの人がそこで立ち止まります。先に強みを積んで、頼られる場面を作る。すると不思議なもので、話すことへの恐怖も少しだけ薄まりました。得意分野の話なら、多少噛んでも大丈夫だと知っているからです。足場ができてから橋をかける順番のほうが、僕には合っていました。
強みの育て方には、いくつもの道があります
最後に、この考え方の各論を紹介します。どれも「話せないまま始められる」ことを基準に選びました。
資格で、努力を形にする道。資格は、自分で語らなくても伝わる客観的な実績です。詳しくは資格は「静かな実績」に書きました。
AIを、文章の相棒にする道。チャットAIとのやりとりは、考えてから書ける世界です。話し下手の、考えてから言葉にする癖がそのまま活きます。AIは話し下手の相棒になるにまとめました。
環境を選び直す道。文章中心の職場への転職は、強みが評価される場所探しでもあります。英語も、会話ではなく読み書きから伸ばすという順番があります。読み書きなら、辞書や翻訳の助けを借りて自分のペースで進められるからです。このあたりは、今後の記事で順に書いていきます。
どれか一つでいいのです。全部やる必要はありませんし、速く進む必要もありません。比べる相手も、隣のよく話す誰かではなく、昨日の自分にしましょう。一歩の小ささより、やめないことのほうがずっと大事だと僕は思っています。